ケネス・ロナーガン監督『マンチェスター・バイ・ザ・シー』

●ケネス・ロナーガン監督『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(アメリカ合衆国、2016年)。

 「ハリウッド映画」や「アメリカ映画」のステレオタイプを見事に裏切る映画で、ハッピーエンドもエンターテイメントも、スペクタクルもフィール・グッドの要素も、微塵も感じられない。打ち勝つことのできない残酷な経験というものが人生にはあるということを、まずはまっすぐ淡々と示すことに成功した緻密なリアリズム映画である。比較をするつもりはないが、イギリスの映画監督マイク・リーを思い起こさせる作風だ。

 にもかかわらず、2017年度アカデミー賞の主演男優賞と脚本賞、英国アカデミー賞の主演男優賞とオリジナル脚本賞、全米映画批評家協会賞の主演男優賞、助演女優賞、脚本賞など200を超える映画賞を受賞している。俳優のマット・デイモンがプロデューサー。

 主人公のリー・チャンドラーは、その経験から逃げて別の人生を探すことにできない不器用な、実直な、めんどうくさい労働者階級の男である。小さな町で、バーで酔って些細なことをきっかけに居合わせた男客を殴り殴り返されることで、かろうじて鬱屈する精神の均衡を維持しているような男である。噂はすぐに広まり、見つけたくても仕事先なども見つかりようがない。

 しかし、打ち負かすことのできない経験から逃れられないダメ男の苦悩を描いただけの哀しい映画ではない。もう一人の主人公である高校生の甥パトリックの後見人としてリーが果たす役割をみれば、この映画が過去の人生の失敗や人間の暗部を主題にした映画ではなく、友情と連帯、保護と成長、(男同士の絆を基盤にした)新しい家族形成の成功を標した希望の映画なのである。

 マンチェスター・バイ・ザ・シーは、ボストン郊外の人口5千人ほどの小さな港町の名前である。その町の名前をそのままタイトルに使っているあたりにも監督の意思表示を感じるが。労働者階級固有の自律的な生活文化とそのサヴァイヴァル戦略の存在も、巧みに表現されている。甥のパトリックが、原理主義的なキリスト教徒と再婚した実母を訪ねる短いエピソードには、中流階級の排他的文化価値観への抵抗が鮮烈に描かれている。

 本作は2016年1月にサンダンス映画祭で初上映され、通販最大手の参加のアマゾン・スタジオが、米国内での配給権を1,000万ドル(10億円)で買い取ったという。ソニー・ピクチャーズやユニヴァーサル・スタジオを上回る値だったらしい。日本でもアマゾンが、プライム・ビデオのサービスでオンライン鑑賞を提供している。筆者も(不本意だが)このサービスを利用して鑑賞した。

(2018年2月10日、オンラインにて鑑賞)