本の紹介と批評

●生井英孝『ジャングル・クルーズにうってつけの日 ヴェトナム戦争の文化とイメージ』(ちくま学芸文庫、1993年)。

 1987年に筑摩書房から出されたものが初版で、本文庫は増補改訂版。帯に「ヴェトナム戦争とは何だったのか?」とあるように、アメリカ合衆国とその国民にとってのヴェトナム戦争の意味を追ったアメリカ文化研究の書である。

 私は、日本のベトナム反戦運動の事例研究に数年来かかわってきたが、つい最近まで本書の存在を知らなかった。自分の勉強不足による無知のためであるのだが、それにしても、日本のベトナム反戦運動に関わったり論じてきた者によって、本書がほとんど取り上げ照られてこなかったのはどういうわけだろうか。本書には、日本におけるベトナム反戦運動研究を行なっていこうとする者に多くの論点、示唆を提供しているように思われるのに。

 本書は、幾多のヴェトナム戦争帰還兵の手記や回想、文学や映画や写真におけるヴェトナム戦争の表象、米軍基地訪問慰安団や戦争記念碑をめぐるポリティクスなどを扱いながら、アメリカ社会がどのようにヴェトナム戦争と向き合ってきた(あるいは向き合うのを避けようとしてきた)のかを描こうとしている。実証的な歴史研究ではないし、テキスト読解に耽溺する文学研究でもない。「カルチュラル・スタディーズ」の優れた見本というものがあるとしたら、本書はまちがいなくそのひとつであ。1987年という早い時期に出されていることからも、パイオニア的労作でもあるが、25年たったいまでもなお本書を乗り越えるアメリカ・ヴェトナム戦争論がわが国で出されているとは思えない。

 本書の論点は多岐にわたっているが、さまざまな帰還兵の手記のほかに、ケネディら当初のベトナム戦争指導者世代の合理主義的20世紀モダニズム、スーザン・ソンタグの『ハノイで考えたこと』、北ベトナムの映画制作、各地の米軍基地へのクリスマス慰安興行を担ったボブ・ホープなどに関する考察が強く印象に残っている。

 繰り返しになるが、日本のベトナム反戦運動研究には、本書のようなスコープの広さと水準、方法論にチャレンジするものはまだ出ていないように思う。

(2014年4月6日)

●瀬戸正人『アジア家族物語 トオイと正人』(角川書店、2002年)。

 読んだのは角川ソフィア文庫版。オリジナルは1998年に朝日新聞社から『トオイと正人』として出版されている。著者瀬戸正人の自伝であるが、自伝的小説といったほうが正確かもしれない。小説という形式と作法で記すことがもっともふさわしい史実というものもある、ということを本書は教えてくれている。

 著者の瀬戸は、1953年、ラオス国境に近いタイ国の東北の街ウドーンタニ市で、日本人の父とベトナム人の母とのあいだに生まれる。父は処刑になることを恐れて日本への帰国を拒んだ元日本陸軍軍曹で、ベトナム人になりすましてウドーンタニのベトナム人街で町一番の写真館を興し、一財をなした。母はベトナム系のタイ国籍取得者で、ウドーンタニに生まれ育つ。瀬戸の名前は最初「トーイ」だった。

 冷戦下のタイで始まった北ベトナムからの工作員の摘発の対象になりかけていたトーイの父は、意を決して日本大使館に名乗り出る。トーイの一家は日本へ帰り、トーイの母の親族はハノイに帰る。ベトナム戦争へのアメリカ合衆国の介入が強化され始めた1962年のことである。

 トーイは、以後、父の故郷福島の農村地帯で育つ。1960年代の日本の農村風景が懐かしくも優しく描かれている。「トーイ」は「正人」となり、過酷なイジメに正人は怯えつつも成長する。正人の母は、当時東北地方に住む唯一のベトナム人だったらしい。母のカルチャー・ショックも相当なものであったことがわかる。

 トーイは写真家となり、タイとベトナムも訪問し、今度はインドシナでは「マサト」と呼ばれる。生まれ故郷ウドーンタニで出会ったタイ人の女性と結婚し、1992年、二人は東京の豪徳寺のアパートで暮らし始める。80年代後半以降、アジアからの出稼ぎ女性たちが日本に多くやってくるようになっていた。ベトナム人にとって、ベトナム戦争が最終的に終結したのは1989年である。

 以上のような日本とインドシナの戦後史を生きた日本人とベトナム人の一家が存在することを知るだけでも、自分には十分なことであった。しかし、本書のなによりの魅力は、その構成と文体の巧みさにある。歴史的事実は、ときどきにさまざまに想起される記憶との兼ね合いで小説のように書かれることで、その複雑さと重さをうまく伝えている。ベトナム人作家バオ・ニンの小説『戦争の悲しみ』(河出書房新社版・世界文学全集I-06、2008年)の構成にも舌を巻いたが、瀬戸は本書において、たぐいまれな文学的想起力を如何なく発揮している。

 私は、2014年3月4日に立教大学で開催された「第1回地方ベ平連研究会」(立教大学共生社会研究センター)に出席した生井英孝先生から本書の存在を教えられた。ここに謝して記すことをお許しいただきたい。瀬戸の写真の力量もまた類まれであると、生井先生はおっしゃっていた。写真集は未見のままである。

(2014年3月23日)

●Owen Jones, Chavs: The Demonization of the Working Class (Verso, 2012 updated edition).

 2011年初版。私が読んだのは、長い新しい序文が付された2012年版。その序文で著者は、初版刊行後の反響・批判を取り上げ、あらためてみずからの主張を論じている。"Chav"(チャヴ)という単語は2005年に初めてCollinsの英語辞書に掲載され、その語義が説明されたという。「若い労働者階級の人間で、普段着のスポーツ服に身を包んでいる」と説明されていたという。

 サッチャー政権以後、労働者階級は次第に重要ではないもの、なにかしら時代遅れのものとみなされるようになり、今では社会の愚弄の格好の対象となってしまっていると著者ジョーンズは言う。一世を風靡し、日本でもそのDVDが人気を博したテレビ・コメディ番組"Little Britain"に登場する不良女子高生ヴィッキー・ポラードを観よ、と著者は言う。労働者階級の十代のシングル・マザー、ヴィッキー。反社会的行動をとる、社会復帰や上昇志向の熱望を持たない、社会福祉の給付に依存して生き、社会のお荷物として見下されている労働者階級の表象がヴィッキーなのだと。ヴィッキーを観て笑う者(私もその一人である)が知らず知らずに身につけているのが、労働者に対する階級的な蔑視と憎悪なのだと著者は鋭く指摘する。

 「貧困や失業はもはや社会問題とはみなされず、個人的な道徳的欠陥と結びつきがあるとみなされるようになっている。懸命に努力すれば、誰だってできるものなのだと、その神話は主張する。貧しいということは、それは彼らが怠惰であり、浪費家であり、大志を持たないからなのだと」。(p. xii)

 著者は、さまざまな統計や社会調査結果に言及しながら、1980年代のサッチャー主義的保守党政権とそれを引き継いだブレアのニュー・レイバー政権のもとで、戦後最悪の階級間格差と不平等および消費主義が亢進し、加えてそうした事実をメディアが隠蔽してきたと、畳みかけるように論じていく。その結果、いまや労働者階級は貧困と同一視され、悪魔化されている。そしてその効果は、不平等の合理化である。つまり、不平等は社会的な瑕疵の結果ではなく、道徳の欠如した人間の自業自得の結果なのである。

 怒りに燃えたアツい議論が、説得力を持って迫ってくる。今年亡くなった大歴史家エリック・ホブズボームが2011年の最もすぐれた著作に選んだのが本書だ。イギリス労働者階級の神話と現実の解明に挑んだこのベストセラー本は、グローバル化の渦に翻弄される21世紀社会における階級政治分析の重要性を深く再確認させてくれる。

(2013年6月24日)

●原田正純『水俣病』(岩波書店、1972年)。

 環境汚染における企業の責任とは何かを考える際の必読文献。新書である本書で、熊元大学の神経精神科の医師である原田氏は、水俣病の疫学的・医学的解明の経緯をわかりやすく記している。しかし著者は、水俣病被害者の生活上および社会的な経験こそが水俣病問題の根底的な座標軸であるべきだという認識に、一医師としての自らの水俣病への取り組みの中から到る。科学的に確立可能なかのように幻想されている「認定基準」がいかに恣意的なものとなりうるのかも、長年の臨床調査を通して著者は具体的に明らかにし、そこから水俣病の驚くべき広がりを指摘している。

 本書はまた、世界的にも類をみないこの環境汚染の責任を、チッソという国策企業がいかに認めようとしなかったかの記録でもある。国や行政や労働組合や地域社会が水俣病に向き合うようになるまでの時間も、途方もなく長かった(そしてなお終わっていない)。そうした状況にあって、患者さん自身のなかにも水俣病を否定し続けた人もいた。

 3月11日の福島原発の大参事を経て読み直してみると、水俣病の教訓を私たちはまったく生かしていないと思う。企業の過失責任を問うていく際に水俣病訴訟弁護団が参考にしたのが、核実験の放射能の人体への影響問題を考える際に武谷三男氏らが出していた「安全性」の考え方だという。急性症状が出なければ人体への影響はないという発想に基づいた「許容量」の考え方がいかに誤ったものであるかを、水俣病裁判は訴え、認めさせてきた。その歴史を、なかったかのことのように私たちはいま忘れている。

(2011年12月5日)

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